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いかにしてマンガが幸せを運ぶか

How Comic CARTOONS Make Fortunes
<P40-41 見開き>
左ページ右上の導入文:
 君が毎日読んでいる新聞、そのファニーズ
(原文:funnies、漫画欄)は毎年800万ドルを約
200人の漫画家グループにもたらしている。
 彼らはいかにして上位200人の漫画家に上り詰
めたか、そしてどのようにすればこのグループに
入れるか、その秘密がここで明かされている。
 
左ページ中央左の解説:
 ウォール・ストリートは歪んでいる。たいらで、
が1つの方面にあって、川が逆の方面にある。
 
左ページ右下の解説:
 あるとき、ロバート・L・リプリー(左)はその
アイディアをランナーさながら刺し捕らえた。
これが年収$350,000のきっかけとなる。ス
ポーツのレコードブックを読み漁っていた彼
は信じられないファインプレーの記録を見
つけ、それをもとに『ビリーブ・イット・オア・ノット』
が誕生したのだ。左上のイラストはリプリーのイラストの1つ。その
左はジョージ・マクマナスを稼がさせた『ブリンギング・アップ・ファーザー』のジッグズ。
E.C.シーガーのハードボイルドな『ポパイ』は新しい人気コミックだ。その下は『リトル・オーファン・アニー』、
ハロルド・グレイに週$1,600を稼がさせてくれる。
 
右ページ左下の解説:
 この愉快ないたずらネズミは、去年ウォルト・ディズニーを大量に儲けさせてくれた(右)。彼の“ミッキーマウス”(上)はスクリーン上で歌ったり話したりして新聞には毎日載っている。右上-『アンディ・ガンプ』を作ったシドニー・スミスはカートゥーンの地所で彼の名義の彫像を作った。アンディ・ガンプの下は『トゥーンナーヴィル・トロリー』。ミッキーの上はバグ・フィシャーによる『マット&ジェフ』チームのマットだ。
 
 
<P40-42上部まで>
本文:
 今朝方あなたに笑顔をくれた漫画には、一日につき200から1000ドルをその著者へもたらす価値がある。
 彼らのペンとキャラクターたちは、飽和状態にはまだ程遠く、実質的に景気を保証されている800万ドル規模の産業の一部を成している。
 今日成功を収めている200人のヒットメイカーたちの大半は、決して「生まれもってしての芸術家」というわけではなかった。ほとんどのケースで彼らはアーティストですらなく、スケッチのコツを押さえ良いアイディアに行き当たったり、あるいは自前のキャラが「ヒット」して良き編集者、良き新聞読者の目に留まった者が大多数だった。
 現在、編集者たちはより良いアイディア、あるいは面白いカートゥーンを作る漫画作家をこぞって探している。というのも、老若男女問わず、はては靴磨きからセレブまで、すべての人々が漫画欄のマンガを楽しみにしており、膨大な数の読者たちがペンとインクのおどけたキャラ追うためだけに毎朝欠かさず新聞紙を購入していることがわかってしまったからだ。
 マンガ界の(特に金銭的側面において)最も大きな転換となったのはほんの少し前のことだ。『ビリーブ・イット・オア・ノット』で有名なロバート・R・リプレーと、彼の起こした訴訟で自身の漫画による収入が平均して6000ドルから7000ドルであることが証言されたことに起因している。この事実は多くの人々を驚かせ、『ビリーブ・イット・オア・ノット』の後追いが大勢現れた。リプリーの発言は彼がカートゥーン業界一の“マネーマン”だということも証明したのだ。
 少年だった頃のリプリーは多少は絵の才能に恵まれていたが、彼の将来の夢はプロ野球選手になることだった。14歳の時、初めてのカートゥーンとなる、村の少女が服を絞るという話の『村のベルはゆっくりと鳴る』を売った。とはいえ、野球にも集中していたリプリーは、ジョン・マグローのメジャーリーグベースボールチーム、ニューヨークジャイアンツにルーキーピッチャーとして入団することとなる。しかし、初めてジャイアンツの制服に袖を通したその日に腕を折り、彼の野球キャリアはあえなく終わりを遂げる。
 
リプリーが名声を得るまで
 彼はその後、サンフランシスコ新聞のスポーツカートゥーンアーティストとして働き出した。リプリーは自分には絵の才能が無いと認めており、母親はビジネスの勉強をしろと説得していた。
 数年後、リプリーはニューヨークに引越し、有名カートゥーンアーティストであるJ.R.ダーリン(ディング)によって『ニューヨーク・イブニング・グローブ』のスポーツアーティストとして雇われる。1921年のとある日、リプリーはカートゥーンのアイディアがうまく思い浮かばないことで四苦八苦していたが、スポーツのレコードブックをあさり、ある名プレイを発見する。それをイラストにおこしてアートスタッフのチーフに見せると、そのタイトルには『ビリーブ・イット・オア・ノット』が付けられた。
 カートゥーンは文句なしの人気を得て、彼は『ビリーブ・イット・オア・ノット』を毎日続けなければいけなくなった。他の町の新聞からも依頼がき、リプリーは一気に業界で有名人となり、収入が跳ね上がった。1929年にはウィリアム・ランドルフ・ハーストのキング・フィーチャー・シンジケートと契約を結んだ。彼のイラストは今やアメリカ、カナダと22の国で250の新聞に連載されている。1932年には60,000マイル、今年は30,000マイルもの距離を毎日のイラストのために取材してまわった。今日、彼は訪れたことのある国々は151を数える。
 
 
<P42-43 見開き>
左ページサブタイトル:
不景気が新しいアイディアと高額の小切手を漫画家にもたらした
 
右ページサブタイトル:
有名漫画家でも新聞社の雑用をこなしていた
 
左ページ中央左の解説:
 ルーブ・ゴールドバーグ(上)は最初、鉱山技師として働いていたが、いたずらな発明の『ブーブ・マクナット』と『ザッツ・ライフ』を描く方が楽しくなったし、その収入のほうが多くなった。右のイラストは不況時にはじまった『ザッツ・ライフ』だ
 
左ページ右下の解説:
 グラント・パワーズ(左)はニューヨークシティでの一番収入が高いスポーツカートゥーンアーティストだった。この記事でどうやって成功出来るカートゥーンアーティストになれるかを紹介する。沢山のコミックアーティストは新聞のスポーツセクションで描く用になった。上はいくつかのパワーズのスケッチとなる。
 
右ページ中央右の解説:
 シドニー・スミス(上)は父のアドバイスを正直に聞いて科学を勉強していたら、昨年150,000ドルを稼いではいなかっただろう。17歳で学校やめて、一週間35ドルでインディアナポリス新聞のスタッフアーティストとして働き、1917年にはアンディ・ガンプ(左)を始め、今はとても人気があるキャリアになっている。
 
右ページ左下の解説:
 『マット&ジェフ』(上)はコミック業界のベテランだ。バド・フィシャー(右)は1909年にこれを作って、以降人気あるファニーズの中ではずっとトップにいる。ニューヨークシティ“ミリオネア・ロウ”のおしゃれなパークアベニューに住むフィシャーは、昔サンフランシスコで一枚50セントの帽子の広告を描いていた。
 
本文:
トップのコミックアーティスト
 リプリーはしかし、“ファニーズ”には描いていなかった。続き物タイプのカートゥーンアーティストとしては、アンディ・ガンプを描いたシドニー・スミス、『ブリンギング・アップ・ファーザー』を描いたジョージ・マクマナス、『マット&ジェフ』を描いたバド・フィシャーらがトップにいた。この3人は毎日連載しているコミックで週2000ドルを稼いでおり、彼らのキャラクターを版権利用している他の媒体からはプラス1000ドルほどを稼ぎだしている。昨年、シカゴ・トリビューン紙のシンジケートのカートゥーンアーティストのエース、シドニー・スミスは150,000ドルをガンプ一家の話で稼いだ。
 昨年は不況のピークだったが、他の業界に比べて、カートゥーン業界への影響は極微だった。何故か?それは、編集者が読者にもっともっと“ファニーズ”で元気になり日頃の悩みを忘れて欲しかったからだ。
 
ファニーズは不況に始まった
 不況は何人かのカートゥーンアーティストに幸せをもたらした。冒険的なディック・トレイシー、四角いあごの探偵チェスター・グールドは年収$50,000クラスにたった6ヶ月で参入した。
 間抜けな発明が何千人もを笑わせるマクノート・シンジケートのルーブ・ゴールドバーグも、不況で収入が増えた一人だ。彼は『ザッツ・ライフ』という新しい連載コミックを描き、それも人気がでた。ちなみに、ゴールドバーグは以前は鉱山技師として働いていた。E.C.シーガーのスマッシュヒット『ポパイ』、フィル・ノーランとディック・カルキンの『バック・ロジャース』、パーシー・クロスビーの『スキッピー』もこの2,3年での大ヒット作品だ。
 
カートゥーン映画の大成功
 これらと他の“ファニーズ”は不況下で成長したが、古参の作品群は長年にわたる汗と涙でトップの座を保持していた。ベル・シンジケートから配布されていたバド・フィシャーの『マット&ジェフ』は現役世代の稼ぎ頭だった。この二人のキャラクターがファニーランドのベテランである。アンディ・ガンプは1917年にデビューしたが、マットとジェフは1909年のデビューだった。
 他のタイプのカートゥーンとはつまりはアニメ化されている映画のファニーズだ。今ではすべて声と音楽があって、さながらトーキー映画のようになっている。ネズミをリーダーにして『ミッキーマウス』を作ったウォルト・ディズニーは世界中のヒットを作り出しこの業界のリーダーとなった。彼の年収は、一説では天文学的な数字になると言われている。もちろん、“ミッキーマウス”もウォルト・ディズニー・カンパニーが発行する日刊新聞に掲載されている。
 こうした財を成すコミックマスターはどこから来るのだろう?どうすれば彼らのような黄金サークルに仲間入り出来るのだろうか?
 何かしらのコツかカートゥーンを描く才能が必要だ。それはもちろんだろう。アートを専門にした学校は成功する学生を送り出しているが、稼げていないカートゥーンアーティストも国中に何千人といる。
 では、このクラスにどうやって参入しているのだろうか?ニューヨークスポーツのカートゥーンアーティストとして知られるグラント・パワーズがその答えを教えてくれている。
 
 
<P44>
サブタイトル:
「ジッグズ」から「スクリーン・オディティ―ズ」がカートゥーンアニメーションの進化を見せる。
 
左下の解説:
 コミックアーティストのもう一人のベテランでもあるトップにランクする、ジョージ・マクマナス(上)がこの記事で始めのキャリアはセントルイス新聞のアート部門を掃除してて、ジッグズと言うキャラクターが出来たと語る。
 
右下の解説:
 上の「スクリーン・オディティ―ズ」が最近のカートゥーンの成長を表している。キャプテンロスコー・フォーセットが見つけた役者の面白い事実がカートゥーンアーティストのバーナード・トンプソンとコラボレーションして「スクリーン・オディティ―ズ」の為にイラストを描く。「スクリーン・オディティ―ズ」は毎日およそ3,000,000部発行される。
 
中央枠内のタイトル:
 「スクリーン・オディティ―ズ」
中央枠内の解説:
左:
 グレタ・ガルボはいたずらのジョークが好き。たくさんいたずらをされた事がある。ディレクターのクラレンス・ブラウンからコットンで積まれているチョコレートをもらった事がある。
右:
 ランドルフ・スコットはサンミエルの戦いで戦って、他の戦争のサービスに参加したことがあったが、名前が記録に見つからなくて給料と手紙を受け取ることが出来なかった。休戦の後に見つかった。
吹き出し:
きっと悪い夢を見ていたんだわ
 
 
<P44-47>
本文:
 「カートゥーン制作を教えるアートスクールの教育や学校でのトレーニングを受けるに越したことはない」と彼は言う。「自分の天性の才能を学んだ技術によって磨くことができるようになれば、それは価値あることになる」
 「とはいえ、トレーニングを受けた事が無いカートゥーンアーティストにも会ったことがあるが、彼らは仕事のボランティアや自分が好きなアーティストの作品の吹き出しに文字を埋めたり、アーティストが仕上げに入る時の背景の手伝いなどをしていた」
「こういう作業を頼まれたり、カートゥーンアーティストが仕事をしてる事務所の雑用を頼まれたりしたら、そこから焦らずにチャンスを待つことだ。何ヶ月、もしくは何年間すぎても、虹の向う側は見えないかもしれない。でも、遅かれ早かれ代役のチャンスはきっと訪れる。『MR.とMRS.』のコミックをクレア・ブリッグスが亡くなった後に受け継いだ男もいるぐらいだ。この連載は作者が亡くなっても続いた。なぜならこの作品を活かせるピンチヒッターがいたからだ。」
 「新聞で記事を任されるようになれば、スポーツ部門で自分の作品を週に1回、特に日曜日に、使ってもらえる可能性があるだろう。最初はカートゥーンの基本的なことしか得られないだろうが、もし才能があるなら上達するだろう。なければ失敗するだけだ。」
 「もしユニークな個性があると認められたなら、出版社から日刊紙の依頼が来るかもしれない。そこで人気がでれば、国が認めるものとして外国へも知られるものになるだろう」
 「この段階で企業シンジケート、つまり自分の作品を数百回複製してくれるチームと初めて会うことが出来る。彼らはマッツ(新聞のステロ印刷をする工場でプレートを作る特別な紙質)で全国のクライアントに販売する」
 「これが俗にいう『簡単な作業(原文:Easy Street)』だ。自分のスタジオに座って、コピーをシンジケートマネージャーに提出したら、他がすべて終わらせてくれる。資金を集める心配や、通帳やお金を管理する必要もない。シンジケートが全部してくれる。一般的に、コミックアーティストは基本給と売上の50%をもらうことになっている」
 「出版社やシンジケートマネージャーから引かれることもあるかもしれない。『ブリンギング・アップ・ファーザー』のジョージ・マクマナスは これだけでは国民には知られないから、新聞読者が興味持つものを作らなければならないと私に言った」
 
マクマナスはアート部門でほうき掛けをする
 キング・フィーチャー・シンジケートでカートゥーンを描くマクマナスが自分の成功話を語ってくれた。
 「セント・ルイスの年長者たちは、学校をサボってグランドオペラハウスの周辺で絵を描いたり遊んだりしていた子供のころの私を今でも覚えているよ。『ブリンギング・アップ・ファーザー』の何人かのキャラクターはステージ上の役者、主にコメディアンをイメージして描いたんだ」
 「ある日、私の父へ先生から手紙が届き、そこには私の退学を勧めることが書いてあった。敬意を示す表現とはかけ離れた文章だった。父は、古いセント・ルイス‘リパブリック’のアート編集者をしていた友人を呼び出した。父は私がアーティストとして才能を持っていると信じていたから、私はすぐさまアート部門で床掃きとごみの片付けの仕事をさせられた」
 「それが結構続いて、アート編集者が私が描いた髪の毛が豊かな女性のスケッチを見て、日曜日の記事のファッションイメージを描くよう指名したんだ」

 

『ブリンギング・アップ・ファーザー』の誕生
 「1903年にちょっとしたお小遣いがあった。私はその仕事を辞めて、ニューヨークに行ってコミックアーティストを目指していた。6ヶ月ほど新聞の仕事して、給料をもらうために様々なことをして、最終的には希望を全部捨てないといけない時が来た。イチかバチか、ニューヨークワールドの編集事務所に行ったんだ。そこで仕事がもらえた。運が良かった。ただそれだけだ」
 「最初のコミック、『レディー、マネー、レディース』は最悪だった。女性がバス代、飲み物などで話し合いになるストーリーだった。次は『パンハンドルピート』、『ジョージにやらせろ』、そして『ザ・ニューリーウェッド』、これは若いカップルと甘やかされている子供の話だ」
 「他に良いアイディアを探していたら、人気を保つ為には実在する人物をモデルにしないといけないということがわかった。妻の尻に敷かれた夫は長らく笑いを取ってくれたから、夫をメインキャラクターに使った」
 「すべてのキャラクターに何かしらブサイクな側面を与えるのは僕のアイディアだったけど、ブサイクのジッグズとマギーに比べてノーラは美人な娘だった。ジッグズのキャストはグランドオペラハウスのアイリッシュマンの役をしたコメディアンを思い出して描いた。彼がぴったりだと思ったよ。マギーとディンティーモアーは私が作ったオリジナルキャラクターだ」
 
“続く”最新のコミック
 「コーンビーフ、キャベツ、マギーの麺棒はコミックの中のわき役だった。サイドストーリーがマギーのランクの高い人になるというジョークとジッグズが豪華に暮らすのを嫌がるところ。マギーのローリングピンはとても役に立った。ジッグズはコーンビーフとキャベツのおまけと戦う」
 『ブリンギング・アップ・ファーザー』と『マット&ジェフ』は、シリアスな物語にせず、読み手に笑顔を提供する古いタイプの漫画だ。近年、そうした面白おかしいマンガではなく、日々起こる日常の一部分を描き取ったタイプの漫画が大量に発表されている。こうした「続きもの」は著名なキャラクター、小説、あるいは漫画家やそのブレインが発案したプロットをベースに成り立っている。
 
「バック・ロジャース」はファンレターを引き寄せる
 このタイプで最近最も人気のあるコミックはナショナルニュースペーパーサービスの『バック・ロジャース2430A.D.』だ。このコミックの人気は科学的発達や、特に航空と軍事関係への関心から来ている。ディック・カルキン中尉は戦争中、追撃パイロットにして新聞コミックのベテランでもあった。彼はスペースロケット、デグラビティーロッドとベルト、マヒ銃、モトチューブなど、メインキャラクターのバック・ロジャースとウィルマが持つありとあらゆる珍しい物を描き出した。この科学的発想の使い方と素晴らしく勇猛なバック・ロジャースとウィルマの冒険と、他の星から来た巨人や小さな人々との出会いは、科学的知識をたくさんもった新聞屋のフィリル・ノーランのアイディアである。
 この、ビビットな、ドラマティックで近未来的な500年後の愛と冒険のストーリーは3年とたたず人気となり、今では200紙以上の新聞で連載されている。作者とアーティスト宛てのファンレターは相当な数が届いている。男性、女性と子供からスペースロケット、デグラビティーベルトとキャラクターが乗った、星から星へと渡る珍しいスペースシップの情報の依頼が山と来る。男の子は自分で作ったスペースシップやコミックに登場する他の乗り物のモデルを送って来たり、大人からは人物や他の星の風景のアイディアのスケッチが描かれて送られてくる。
 
コミックがどのように“制作”されているか
 カートゥーンアーティストは依頼されたマンガは2,3週間前には仕上げており、日曜日に掲載されるページなら発行される8週間前には仕上ている。
 アーティストは皆、12パネルか25x19in.のサイズで日曜日のページを描いている。アーティストはシンジケートオフィスに白黒で提出する。それで、彫刻部屋で“シルバープリント”が2つ作られる。“シルバープリントはそのページを映した写真である。この“シルバープリントがアーティストによって配色される。
 「オリジナルページとシルバープリント1枚はシカゴ・トリビューンに渡されれる。オリジナルは彫刻部屋で写真撮られてそこから4つのプレートのネガが作られる。これをキープレートと呼ぶ。赤のプレート、青のプレートと黄色のプレート。キープレートは白黒だ」とアーサー・クロフォード、シカゴ・トリビューンシンジケート、プレスサビース株式会社の部長が説明した。
 「4つのプレートベン・デイの従業員に色塗りで回される。ベン・デイが4つのプレートに塗られたら、エッチングで描かれて直される」
 「この4つのプレートでどんな色でも紙に見せられる。この毎日のコミックは白黒で印刷されている。オリジナルは5つか6つのコラムに入る用スケールダウンされている」
 カートゥーンを買う新聞に1週間分のコミックのプルーフがシンジケートから送られて、マッツ-ステロ印刷する工場で作られたプレートも一緒に送られる。各プルーフには発売される日の日にちかクライアントのペーパーで同じ日に登場するためのシリアルナンバーが印刷される。
 自分にカートゥーンに著作権をかけるフォンテーヌ・フォックスは1つの絵のコミックを描く。『トゥーンナーヴィル・トッピクス』のアイディアが浮かんだのは、ケンタッキー州、ルイビルの荒れ果てた自動車の列のキャンペーンをしてた新聞を見た時だ。彼のカートゥーンはとても人気がある。
 コミックのアイディアは大規模に広まって、広告の分野にも去年突入した。これは、人気がある毎日何万人もがイラストを見る小さいグループのカートゥーンアーティストにとっては素晴らしいことだ。この小さなグループは頑固ではない。新聞編集者、間接的な読者も、カートゥーンアーティストがもっと良いアイディアや面白いストーリーを作ってもらうために大金を払うつもりだ。
 
 
 
 
 
 

原文下訳:比嘉セリーナ

翻訳補佐・監督:丸田剛司

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