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機械化とは

 太平洋戦争中に小松崎茂画伯が考案・図版を担当した少年向け軍事科学雑誌。

 

 『機械化』は財団法人:機械化国防協会が編纂し山海堂出版から刊行された小松崎画伯が図解作画者としてデビューした雑誌でしたが戦争により多くの画稿が焼失しました。東京大空襲で小松崎画伯の生家・仕事場が被災し印刷所も焼尽したことと、終戦を迎えやがて進駐してくるであろう連合軍の戦犯追及を怖れて多くの図面原稿や製版図案類が廃棄されてしまったためです。

 

 占領後はGHQの命令により機械化国防協会は解散し、かろうじて残った山海堂出版に残っていた既刊本も好戦的出版物として焼却処分されました。『機械化』の愛国少年読者は、その所有さえも責めを負うことを覚悟し密かに隠匿したのです。

 山海堂出版はその後、(株)山海堂となって活動を続けましたが連合軍による占領が解けた後も『機械化』の再刊や復刻をすることはありませんでした。

 

 戦前は米国の『ポピュラーサイエンス』(1872-)、『モダンメカニクス』(1928-)、英国の『モダンワンダー』(1937-)などの発明雑誌がパルプマガジンとして刊行されていました。これらをお手本に少年向けの科学啓蒙を目的として創刊されたのが誠文堂新光社の『子供の科学』(1923-)であり、その後、時局の国策を受け財団法人機械化国防協会の編著で山海堂出版を発行元として創刊されたのが『機械化』(1940-)でした。ライバル誌の『子供の科学』も戦時中には少年向けの軍事科学記事が掲載されましたが時局柄の情状が斟酌されてGHQにより戦後も刊行が許可されました。対して『機械化』は即日の刊行停止となりました。

 

 機械化国防協会から刊行を請け負った山海堂出版は科学技術と実用書系の版元として活動を続けましたが業績不振により2007年に解散となりました。

 

 『機械化』については生前の小松崎茂画伯はほとんど語ることがありませんでした。画稿類も雑誌も手元になく、戦時中の仕事ということもあって後世に伝えるべきことが見当たらなかったとお考えになったのかもしれません。

 これまでに刊行された画伯の作品集、画集で『機械化』はほとんど紹介されていません。資料も乏しくその研究も進んでいませんでした。

 

 「見たい!どうしても見たい!」との思いが募り、古書店を巡り買い求め、同好の士から足りない分をお借りして、ようやくフルコンプリートとなりました『機械化』を、小松崎画伯の御遺族代理人より許諾を取得しイベントや復刻出版を進めています。

 

 後に少年誌のグラビア図解、『海底軍艦』『地球防衛軍』などの超兵器、田宮模型などの模型メーカーの戦車や軍艦のボックスアートで活躍された小松崎茂画伯の原点、二十歳代の仕事がここに甦ります。

『機械化』復刻編集部 高橋信之

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